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浦和地方裁判所 平成6年(ワ)1565号 判決 1997年11月21日

原告兼亡甲野一郎(仮名)訴訟承継人(以下「原告」という。)

甲野太郎(仮名)(X1)

甲野花子(仮名)(X2)

右両名訴訟代理人弁護士

大谷庸二

被告

埼玉県(Y1)

右代表者知事

土屋義彦

右指定代理人

高橋新吾

山野均

後藤安史

小西紀久子

石川勉

萩野勝也

被告

越谷市(Y2)

右代表者市長

板川文夫

右指定代理人

高橋光男

大熊貞夫

被告

草加市(Y3)

右代表者市長

小澤博

右指定代理人

荒井勇

檜垣昌司

右被告ら三名指定代理人

竹村彰

阿部昭雄

芦澤治

谷脇輝夫

理由

一  請求原因一(当事者)、同二(古綾瀬川の概況等)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  本件事故発生の状況について

1  本件事故の発生

〔証拠略〕によれば、次の各事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  一郎及び二郎は、本件事故当日は、午前中から隣家において、同家の子と遊んでいたが、同日午後零時二〇分ころ、原告花子が戸外で遊ぶよう声をかけたため、三名の子らは古綾瀬川の岸辺に向かった。

このとき、原告花子は長女の授乳のため室内におり、子らを監視する大人はついていなかった。

(二)  しばらくして、隣家の子が、一郎らが川に落ちた、と言いながら戻ってきたため、同家に寄留していたA(フィリピン国籍男性)が古綾瀬川に向かい、午後零時四〇分ころ、川面に浮かんでいた二郎を手を延ばして引き揚げた。そこへ隣家の子の報告を受けた原告花子もかけつけた。

(三)  近所の者も騒ぎを聞きつけて、順次集まり、その中のB及びCが改修部分の川底を棒で探って、午後一時一五分ころ、沈んでいた一郎を発見し、直ちに引き揚げた。

(四)  二郎は救急車で誠心会十全病院に搬送され、同病院で治療を受けたが、翌朝死亡した。

一郎は、発見当時は心肺停止状態で越谷市立病院に取容され、同病院の措置により蘇生したものの、無酸素脳症を発症しており、昏睡状態から醒めることなく、約二年後の平成七年四月三〇日に死亡した。

(五)  一郎らが川に転落する状況を目撃した隣家の子は、一郎らが魚取りを始めて間もなく溺れた旨を説明したが、幼少のためそれ以上の説明はできなかった。

一郎の水難体が発見されたのは、改修部分川底であるが、二郎が発見された川面が改修部分であるか未改修部分かは不明である。

2  本件事故現場付近等の状況

〔証拠略〕によれば、次の各事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(一)  本件事故当時、改修部分及び未改修部分流域は住宅が建ち並び、本件事故現場付近では、住宅から突き出された排水管からの生活雑排水が河川に排出され、流水は黒く淀んで水質は悪く、特に未改修部分においては、川底にはヘドロが堆積し、水面にも空き缶等のゴミが浮遊していた。そして、右当時の未改修部分とその岸、改修部分とその護岸の状況は、概ね別紙図面(三)ないし(五)表示のとおりであった(但し、水深は本件事故当時の方が約五センチメートル低かった。また、未改修部分越谷市側岸と本件土地との境界には、右当時には同図面(三)及び(四)に表示されている防護柵は設置されていなかった。)。

すなわち、改修部分の両側には水面から約〇・六メートル上まで出たコンクリート護岸が垂直に形成され等このため同部分の川幅は常に一定で約三・六メートルであり、また未改修部分の川幅もほぼ同様に三・五メートル前後であった、また、未改修部分は、時期によっては水位が下がるためにその下流部分でヘドロがかなり顔を見せる部分が生じることもあったが、本件事故当時にそのようなことはなく、その水深(水面からヘド路上端部までの距離)は、本件境界の下流(未改修部分側)一七メートル(A点付近)から二メートルまでの間、ほぼ中央部で約〇・四ないし〇・七メートルで(但し部分的に浅いところで〇・二メートル程度の箇所もあった。)、本件境界の下流六メートル(B点付近)のラインから本件境界に近づくにつれて徐々に深くなり、本件境界付近(本件境界から二メートル以内)では落ち込みが大きく、本件境界では水深が約一・二メートルあった。また本件境界から下流一七メートルまでの間の川底には約〇・三ないし〇・八メートルの厚さのヘドロが堆積していた。

改修部分については、水面から川床までの深さは約一・九メートルと一定で、水深は本件境界から五メートル上流(別紙図面(三)表示のD点)で約一・六メートルであり、本件境界から右D点付近までの川底には約〇・三ないし〇・六メートルのヘドロが堆積していた。

そして、本件境界には、ヘドロ上端部から約〇・六メートル上に出たうなぎ止め(川底にほぼ垂直に設置された柵様のもの)が存在し、うなぎ止めの上端部からさらに約〇・六メートル上に水面があった。

改修部分の両側のコンクリート護岸(越谷市側の上端幅員は約〇・四メートル)上には、改修工事に伴い設置された高さ約一・二メートルの防護柵(ネットフェンス)が、河川側端から〇・五メートルの位置に存在したが、未改修部分の越谷市側岸には天越谷市道九〇四二〇号線と接する部分に、越谷市側のコンクリート護岸上に設置されたネットフェンスから引き続いて設置された同様の防護柵(ネットフェンス)(延長約八・五メートル)が存在するのみであった。

未改修部分両岸は、右公道と接する他は、草加市側は三つの民家の敷地に、越谷市側は本件土地と公道以西コンクリート護岸までの約二メートルの別の民有地とに、それぞれ接していた。

(二)  本件事故当時は冬であり、未改修部分の両岸は、所々背の低い青草が生えていたり地肌が見えている部分も存在したが、概ね背の低い枯れ草により覆われていた(なお、越谷市側岸と本件土地との境界部分(長さ約二〇メートル)は、岸側に一メートル近くもはみ出す形で板により土留めされた上、砂利によって整地されていた。)。また、未改修部分の水中にも所々水上まで突き出た枯れ草が存在し、川底に堆積するヘドロの高さも一様ではなかったから、巧みに場所を選んで歩けば、未改修部分を横切って対岸に至る可能性がないわけではなかった(但し、体勢が崩れる等のヘドロの影響は無規できず、また長靴を履かなければ靴に水が入ることは確実であった。)。しかし、基本的には未改修部分に足を踏み入れると、ヘドロの中に足がめり込むため、そこを歩行することひいては横断して対岸に至ることは極めて困難であった。

未改修部分越谷市側の岸法面は、比較的なだらかな勾配で水中に入り、水際にはヘドロも堆積していなかった(但し、本件土地西端に接する法面から改修部分のコンクリート護岸に至る法面は、次第に勾配が急になり、特に右護岸の手前付近はきわめて急であった。)。そして、その岸の幅員(隣接地との境界から水面までの水平距離)は、約二ないし約三メートルであったが、右護岸に近づくにつれ、その幅員は狭くなり、右護岸と接する部分の幅員は約〇・五メートルであった。

(三)  また、本件土地から、改修部分手前の法面の表面やその様子を見通すことは困難であったが、前記公道と岸との境界に設置されたネットフェンス下の法面の具体的状況は、下流側一番手前にネットフェンスに接近してあじさい様の低木が川の方向に向かって多数の枝を突きだし生えてはいたが、その下方は比較的なだらかで、かつ人が通れるだけのスペースがあり(別紙図面(四)断面図B表示のとおり。)、その上流側には二本の桜の木が隣接して存在し、その位置は右フェンスからやや離れていたが、そのフェンスが河川側に倒れ込んでいたため、フェンスと桜の木との隙間は狭かった。そして、さらにその上流側にはむくげ様の低木が右フェンスより人が通れるくらい離れて河川に傾斜して生えていた。また、右二本の桜の木の下方にも人が通れるだけの法面は形成されていた。しかし、そのむくげ様の低木が生えている付近から改修部分のコンクリート護岸までの法面は、急に水面に落ち込むように急傾斜となり、足場が極めて狭かった(右各樹木等の配置状混は、別紙図面(六)表示のとおり。)。

(四)  本件事故当日の越谷市の天候は、晴れで終日降雨はなく、正午から一時にかけての気温は約一二度であった。

3  本件事故の具体的態様について

右2で認定した各事実からすると、本件事故当時、確かに、未改修部分は、幼児であっても巧みに場所を選んで足を進めれば越谷市側から草加市側へ渡ることが全く不可能であったとまでは断じがたいが、少なくとも水深及び川幅からして幼児が足を濡らさずに渡ることは到底無理であったとみられるのであり、堆積するヘドロの影響もあって、幼児が河川を渡りきることは不可能に近かったとみるべきであり、むしろ未改修部分は幼児が横断することが不可能な箇所が各所に存在し、ましてや、本件境界の下流六メートルから本件境界に近づくに従い水深が徐々に深くなることもあって(しかも本件境界付近では水深が約一・二メートル以上あった)、川底を未改修部分から歩いて本件境界ないしはその直前に至ることはきわめて困難であったとみるべきである。そして、本件事故当時は、昼で晴れていたとはいえ一月で気温も約一二度(未改修部分の水温も同様に低かったものと推認することができる。)であったことや未改修部分の水質もかなり悪いものであったことも併せ考えれば、本件事故当時、一郎及び二郎が、あえて未改修部分の水面に踏み込み、改修部分の近くまで進んで溺れた可能性は低い。むしろ、前記認定の未改修部分越谷市側岸法面の状況等に鑑みれば、本件において一郎及び二郎は、未改修部分越谷市側岸法面を改修部分に向かって歩き、改修部分のコンクリート護岸に至った上でそこから転落したか、右護岸に至る直前の法面から改修部分又は本件境界の水中に落ち込んで溺れたと考えるのが、最も自然な経緯のように思われる。

もっとも、幼児の行動は、大人の常識をはるかに越える側面を持っていることは否定できず、前記のとおり、隣家の子が、一郎らは魚取りを始めてから溺れたと説明したことも考えれば、一郎らが未改修部分で水中に入り、改修部分付近で溺れた可能性も全く否定できるものではなく、結局のところ、事故の具体的態様は不明といわざるを得ない。

三  本件事故についての被告らの責任について

1  本件土地と末改修部分岸との境界へ防護柵(境界柵)を設置すべき義務の有無

(一)  〔証拠略〕によれば、以下の各事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 一級河川古綾瀬川は、草加市稲荷一丁目地内で一級河川綾瀬川に合流する河川延長六・四キロメートルの河川で、昭和四〇年四月一日に建設大臣により一級河川と指定されたものであり、準用河川古綾瀬川は、一級河川古綾瀬用の上流端(本件境界)からさらに上流の延長一・四八キロメートルの部分で、昭和五三年九月二〇日に草加市長及び越谷市長により準用河川と指定されたものである。

古綾瀬川流域では、第二次世界大戦の戦災復興と併行して宅地開発が進んでいたが、昭和五〇年前後を境として、一級河川古綾瀬川の流域では土地区画事業の施行等による宅地開発が急激に進行し、この結果、田畑の減少による流域全体の保水能力、遊水能力の低下が以前に増して進み、浸水被害も多く発生するようになった。そこで、右浸水被害に対応すべく右準用河川の指定がなされて河川改修工事が着手され、本件事故当時に至った。

(2) 本件事故当時、原告太郎、同花子、一郎、二郎及び訴外春子(平成四年四月二四日生、長女)の五名は、原告太郎の勤務する株式会社A工務店の社員寮であるリバーコープ越谷南三〇一号室に居住していたが、リバーコープ越谷南は、本件土地上に、未改修部分岸との境界面から約二〇メートルを南面として建てられており、右岸との間のスペースは駐車場として利用されていた。また、リバーコープ越谷南の西隣(古綾瀬川上流方向)も民家が建ち、さらにその西は幅員約六メートル、全長約二五メートルの公道(越谷市道九〇四二〇号線)で、右公道は、未改修部分岸との境界で行き止まりとなっていた。そして、右公道とリバーコープ越谷南の駐車場とは、本件土地の一部である通路様の土地でつながっていた(以上の位置関係は別紙図面(一)及び(三)に表示のとおり。)

(3) 本件事故現場から北西約一〇〇メートルのところには南部第四公園があるほか、その周辺には南部第一ないし第三公園、第五公園と複数の公園が点在していた。ただ、一郎や二郎の他、近所の子供は、リバーコープ越谷南前の駐車場で遊ぶことがあった。

また、本件境界とその上流約三〇メートルに存在する橋との間のコンクリート護岸上において、魚釣りをする者もたまにおり(但し、幼児だけで魚釣りをしているのは目撃されていない。)、さらに古綾瀬川の水位が下がり未改修部分下流付近で川底が干上がった際、そこに入り込んで遊ぶ子供もいないわけではなかったが、そのように改修部分護岸コンクリートや、特に未改修部分に子供が入って遊ぶことは滅多になかった。

(4) 本件事故以前に未改修部分又は改修部分に転落する事故はなかった。また、本件事故現場付近では、被告埼玉県の越谷土木事務所の職員が、同県土木部長の定めた河川巡視要領等に基づいて一級河川古綾瀬川の巡視を毎週金曜日に行っていたが、本件事故現場付近では、本件事故が起きるまでは特記すべき事項もなく、また、右職員が本件事故現場付近の住民と言葉を交わす機会もあったが、住民から、河川の水質が悪く悪臭も発生しているので河川流水を浄化してほしいとか法面部分の雑草を刈り払ってほしいなどの要望は受けたが、防護柵を設置してほしいという要望は一切なく、さらには付近住民が、特に被告らに対し、電話又は直接役所を訪れた上で転落の危険を訴え、事故防止のための設備を求める陳情や要望をしたこともなかった。

(二)  右(一)で認定した事実関係に、前記二2で認定した本件事故現場付近の状況も踏まえ、本件土地と未改修部分岸との境界へ防護柵(境界柵)を設置しなかったことが未改修部分、改修部分の設置管理の瑕疵にあたるか否かについて判断するに、前示のとおり本件事故現場であると推認し得る改修部分又は本件境界付近の未改修部分は、水深と護岸の状況に照らし、子供がいったん転落すると生命の危険があったことは否定することができない。

しかし、前記認定の未改修部分両岸の状況や古綾瀬川の水質状況に照らし、本件事故現場付近が子供にとって魅力的な場所であるとは認められず、実際、未改修部分で魚釣りや水遊びをするような者は滅多におらず、未改修部分の川底が干上がった際、そこに入り込んで遊んでいた子供がごくたまにいたとしても、それはごく例外的なことであり、しかも両岸の状況等に照らしそれ自体はさして危険なものでもなかったと考えられる。また、未改修部分草加市側は民家が密集し右部分岸に至る道も存在しないと共に、越谷市側岸も、行き止まりの形の幅員六メートル、長さ約二五メートルの公道に接する他は民有地が接し、かつその境界の大部分を占める本件土地は右公道からさらに河川に沿って入り込んだ袋小路のような土地になっていて、未改修部分付近が近所の者に開かれた空間になっているとは言い難い。そして、本件事故が起きる以前、確かに本件境界とその上流にある橋との間のコンクリート護岸上で魚釣りをする者がいなかったわけではないが、本件事故現場付近の状況等に照らし、それは右橋の柵又は右護岸上に設置された柵を乗り越えて右護岸上に入り込んだものと推認することができる。

結局、以上を総合すれば、未改修部分及びその岸は、日頃より子供の格好の遊び場所にはなっていなかったことはもとより、改修部分に至るための通過場所にもなっていなかったものと推認することができる。

(二)  なお、原告らは、被告らが本件事故現場付近の住民から子供らの事故防止のための柵を設置して欲しい旨の要望を受けていたにも関わらず、被告らがそれに答えようとせず、逆に株式会社河合工務店に対し近々未改修部分の工事があるので、柵の設置を控えるように助言したと主張するが、右主張は、要望や助言の主体が明らかではなく、〔証拠略〕中の右主張に沿うかにみえる部分も、具体性に乏しいばかりか、これに反する〔証拠略〕に照らし、また、前記二2(二)認定のとおり本件土地から岸例に約一メートルもはみ出して整地されていたことから、同社がこの部分を一体として駐車場として利用していたと推認されることに照らしても、直ちに信用することができない。かえって、〔証拠略〕によれば、右のような要望や助言はなかったことが認められる。

そして、このように右のような要望や助言がなかったということは、本件事故現場付近の住民や株式会社河合工務店の関係者ひいては原告らが、未改修部分越谷市側岸に防護柵(境界柵)が設置されていなかったことについて、本件事故が起こるまではさして不安感を抱いていなかったことの証左であるとも言える。

(三)  そもそも、未改修部分の前記公道と接する越谷市側岸法面のネットフェンス下の部分は、断面の水平距離が最大でも約二メートルで本件土地からは右法面の表面及びその様子はよく見えないのであり、前記認定の右部分の状況からすれば、確かに二本の桜の木を越え、その上流のむくげ様の低木上方までは歩行することができるのであるが、改修部分コンクリート護岸に近づくにつれ急激に断面の水平距離が小さくなると共に水面に急に落ち込んでいて、右低木の先は足場も狭く、しかも当時は右二本の桜の木に接するほどネットフェンスが河川側に傾いていたと共に右フェンス下の一番手前のあじさい様の低木の枝が多数河川に向かって伸びていたのであり、通常ならば法面を伝って改修部分コンクリート護岸付近まで至る者があることを予測するのは困難な状況にあったというべきである。

もっとも、前述したとおり、成人とは異なり、幼児の場合は、予測を越える行動をとることがあり、本件でもまさに一郎らは大人が及びもつかないような経路を辿って水中に転落したとみられるのであって、そのこと自体は決して責められるべきではない。しかしながら、行政としても、幼児のあらゆる行動を事前に予測して危険を取り除くことはおよそ不可能なのであって、当該場所が幼児・児童の遊び場と化していた実態がある場合はともかく、本件のようにそのような事情がない場合には、古綾瀬川の管理者らにとり、本件事故のような態様の事故発生の危険性を具体的に予見することができなかったことをもって過失があるとすることはできない。

したがって、右管理者らに右事故発生を防ぐために、未改修部分岸と本件土地との境界に防護柵(境界柵)を設置すべき義務があったということはできないのである。

2  本件境界付近に両岸と流水面とを横断する防護柵(横断柵)を設置すべき義務の有無

本件土地から未改修部分の岸法面に立ち入り、法面を伝って改修部分コンクリート護岸付近までに至る者があることを予測することは困難だったのであり、当時の事情に照らし、古綾瀬川の管理者らにとり、本件事故のような態様の事故発生の危険性を具体的に予見することができなかったことをもって過失があるとはいえないのであるから、本件境界の越谷市側に未改修部分岸から改修部分コンクリート護岸に立ち入れないような防護柵を設置すべき義務があるということはできない。

また、本件事故の態様として、未改修部分に立ち入り川底を歩いて本件境界近くに至って溺れた可能性を完全に否定することができないにしても、前記二3で判示したとおり、その困難さの程度からしても、古綾瀬川の管理者において、そのような態様による事故の発生を予見することはできなかったというべきである、したがって、本件境界の流水面に防護柵を設置すべき義務があったとの主張も、その設置が河川管理の上から可能であったかどうかにつき検討するまでもなく、採用することができない。

3  以上によれば、古綾瀬川の管理者らが原告ら主張の柵を設置しなかったからといって、右部分の設置管理の瑕疵があったとは言うことはできない。

四  結語

以上のとおり、原告らの被告らに対する各請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林克巳 裁判官 坪井祐子 西森英司)

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